仕事がハードであればあるほど
「休日」というのは
珠玉のひとときである。
「定年退職」というものは
無期延長されたような「休日」である。
あのハードな日々に
戻ることがない休日….
そう思うと「定年退職」を待ち望んでいる人は
かなり多い。
定年退職した人のその後
たくさんの人が定年退職したのを見てきた。
大企業に勤めて、かなり出世していた55歳の男性、
彼はパートナーと長期ホリデーに出かけたくて早期退職した。
しかし、
年金だけでは生活が苦しくて、
再就職しなければいけなくなった。
看護婦としてかなりの地位についていた女性、
普通の定年退職をしたが、
それまでの忙しい生活が、いっぺんに
ストレスフリーとなった。
その気の緩みから病気になってしまった。
やり手の経営者だった男性、
早くに経営者の実権を子に譲り、
定年前に隠居する。
だが長い隠居生活は退屈で、
次第に気難しくなり、
そのうちに病気になり、早く亡くなった。
そういった人たちの共通点は、
若い頃、
すごく成功していたことだ。
自分達のいた世界(仕事)の
第一線で戦って
そして勝利を収めていた人たちなのである。
定年退職しなかった、さだまさし
さだまさしがトークショーで、
20年くらい前の話を
語っていた。
彼はこの頃、長崎県にある詩島という島を購入したのだが、
その後、ドキュメンタリー映画、「長江」の制作で、
35億円の借金を抱えることになる。
彼は働きに働いた。
吉本興業より働いたらしい。
曲を作って、記事を書いて、歌って、
各地で精力的にコンサートを行った。
その数、
4400回以上!
…….たいへんな戦いである。
そして
彼は見事、借金を完済したのである。
その後、
60歳になったら歌をやめよう。
と思っていたらしい。
しかし、東日本大震災が起こり、被災地で歌うことで、
「やることあるじゃん」と歌を続けることにした。
さらに2020年、8月には53年前に合格できなかった
東京藝大の客員教授に就任した。
(マイナビニュース 2020年8月23日)
「定年退職」をしない、岸恵子
岸恵子は「ハルメク」という雑誌で、
こんなことを言われていたらしい。
「私にだって、しわは売りたいほどあるし、
年を経て失ったもの、衰えたものもちゃんと認識しています。
ただ、めげないように、へこたれないように生きてきたんです。
今までの私の人生、というか現在進行形でも、
艱難(かんなん)辛苦は並大抵のものではなく、
でも必ず、どこかから湧き出てくる力があって自分で処理してきました。
(中略)
だから、私は若く見えているんじゃなくて、
気持ちが若く、老いて見えないだけなんです。
それを「いつも若く見えますね!秘訣は何ですか?」なんて言われると、
と、ついたんかを切りたくなります。」
老いるということ
さまざまな定年退職者の人生、そしてさださん、岸さんのお話で
思ったのは、
人生には戦いがあること。
誰でも「定年」までは戦い続ける。
しかし「定年」後も
戦い続けるか、否かで
その人の「晩年」の人生が変わってしまう。
「定年」の年齢になって、
「ああこれで、仕事のストレスから解放される。楽ができる。」と思ったら、
そこで戦いは終わる。
水が流れるのをやめたら、
そこに溜まった水は腐っていって、
誰も飲まなくなる。
人間だって、
日々成長しよう
挑戦しよう
と努力しなければ、
腐っていく。
腐っていくとは
グチばかり言うようになる
ということだ。
そうなると、
人はその人から
だんだん離れていく。
医療現場で
多くの老人を見てきたげばの
率直な意見である。
そう思うと、
忙しい日常に感謝しないとなあ。
…..なんて
そんなことを思ったりした
今日この頃である。
妻が倒れる前にアメリカでコンサルタントの仕事をしていて『これからは今まで得た知識と経験で食っていけるな!』と奢った考え方をした時期がありました。
前進を止めるとろくなことがありません。
妻が倒れ食うことにも困りそうなピンチの連続で悟りました。
できることが多いに越したことはない!!
良い歳をして学ぶことが楽しい今日この頃。
一生学び続ける。
一生楽しく働き続ける。
これは人間に組み込まれたDNAだと思います。
逆らうと人生終わってしまう気がする。