学生時代から
一人暮らしに憧れていた。
「仕事から帰って
風呂に入り、
誰に構うことなく
缶ビールを片手に
タバコをふかす」
こんな暮らしに
憧れていた高校時代。
今思えば
とんだオヤジギャルである。
80年代イケイケギャル
80年代といえば
日本がバブルの好景気で
イケイケだった時代、
げばは
大阪で一人暮らしをしていた。
あの頃は喫煙者で
よく仕事の合間を縫って
タバコを吸いに屋上に行ったものだ。
いまでこそ
たばこは
毛嫌いされているけど、
当時は
そんなに
酷い扱いではなく、
どこでも普通に
喫煙できた。
80年代の週末といえば
よく繁華街に出かけた。
繁華街といえば、
お酒、
お酒といえば、
喫煙である。
みんな
楽しそうに
嗜んでいた。
イギリスの喫煙事情
そのうち
げばは
イギリスに留学することになった。
当時働いていた貿易会社を辞めて
自分のステップアップのために
留学を決めたのだが、
イギリスに来て
激しいホームシックに襲われる。
楽しい大阪を離れて、
なんで私はこんなとこにいるのよ!
仕事が終わって
バスの中で
タバコを一服するのが
当時の楽しみだった。
しかし
イギリスは
喫煙に好意的ではなく
バスの中の喫煙は
二階建てバスの
二階のみだった。
今考えると、
それでも
ずいぶん好意的である。
(今は絶対禁止)
変なやつに絡まれる
二階の席で、
楽しく喫煙を楽しんでいたら、
なんか汚い感じの男が
隣に座ってきて
私になんだかんだ言ってきた。
なまりがひどかったが
要するに
ナンパしてきてたのだ。
なんとか追い払おうとしたが
男は食い下がってきた。
あの頃は
英語がそんなに喋れなかったので
すごく困っていたら、
前方に座っていたカップルのうちの
男性が
「嫌がってんじゃねえか
おっさんやめろよ」
とか言って男を追っ払ってくれた。
バスを降りる時
そのカップルに
「サンキュー」とお礼を言った。
それから
げばは怖くて
バスの二階に座らなくなった。
つまり、
仕事終わりの
楽しい喫煙をやめたのである。
結婚式で困った事
その後、
なんの因果か、
げばは
あるイギリス人と
結婚することになった。
結婚式に
日本の家族を招待したのだが、
……….
困ったことがあった。
げばは
どんな席でも
自分の喫煙を躊躇することはなかったが、
ある人の前では喫煙できなかった。
それはげばの父、ウルトラの父である。
尊敬する父の前では
とても偉そうに
喫煙できなかった。
仕方ないので、
弟のタロウが席を立つたびに
彼の後をついていき、
彼のタバコをもらっていた。
情けない花嫁である。
禁煙運動を開始する
げばは
妊娠して一時禁煙する。
だが子供が産まれてしまえば、
またタバコを吸う。
「ニコチン依存」というのは
恐ろしいものである。
イギリス政府は
なんとか国民に禁煙してもらおうと
税金を高くしたり、
タバコのコマーシャルをやめたり、
販売所のタバコを隠したりした。
ある日
いつものタバコを買ったら
大きな醜い写真がタバコの箱を覆っていた。
「ニコチンに蝕まれた肺」の写真!!
グロテスクで気持ち悪かった。
写真はそれから毎月変わっていった。
呼吸のできない患者。
黒くなった肺。
目を覆いたくなる写真。
それでもげばは
タバコを買い続けた。
そして
ある写真が登場する。
それは
この写真の恐ろしさは
黒い肺以上の
ホラーを女性たちに与えた。
そして
げばはついに
タバコを買わなくなったのである。
イギリスのタバコ政策は
ここに
成功する。
イギリスは禁煙先進国ですよね。
1985年の夏、忘れもしない日航ジャンボ機が墜落して1週間後に出発した卒業旅行で寄ったイギリスで驚いたこと。
私は喫煙習慣はなかったのですが、それでもタバコの値段に驚きました。
当時セブンスターが220円くらいだったような記憶ですが、その時代にイギリスでは一箱500円でした。
税金を上げて禁煙させようという試みです。
イギリスという国は常に最先端をいく国だなーと、今でも感心してしまうのです。
それでもタバコ政策が変更を余儀なくされたってことですから、禁煙を促すのは簡単ではないということですね。
私はたまたま中学生の時に祖父が肺がんで亡くなったのがきっかけで、タバコを好ましく思っていなかったという理由だけで吸うことがなかったんです。
でも禁止したら暴力団の資金源になってしまうから、本当に難しい舵取りですね。
日本の政治家は絶対に危ない橋を渡らないから、喫煙後進国のままだと思います。