2020年の春、
イギリスは広がるコロナウィルスを食い止めるため、
ロックダウン(封鎖)を強行した。
これで国民は自由に行き来ができなくなり、
自宅に待機することを、強いられるようになる。
マリー、ケア施設へ
マリーの弟子たちは
彼女を訪問することができなくなった。
唯一、彼女に会えるのは、
家政婦とケアラーだけである。
あの日、家政婦は家族でホリデーに出かけていた。
事件はその夜に起こった。
マリーが転倒したのだ。
急ぎ病院へ運ばれたが、
100歳の老人が転倒したら、
回復まで時間がかかる。
治っても1人で生活するのは困難だ。
マリーは、短期間ということでケアー施設に入った。
今まで自由奔放に生活していたマリーにとって、
施設生活は不自由なものだった。
彼女は初めての人にはあまり馴染めない性格で、
施設では「気難しいおばあさん」だった。
さらに、施設ではコロナ禍のため、
訪問者は近親者1人に限られていた。
家族のいない彼女の訪問者は家政婦だけとなった。
施設の電話は受信のみ使える。
携帯を使えない彼女は、自分から弟子に連絡できない。
だから、弟子が施設に電話をするしか話す手段がないのだ。
施設の電話は、忙しい時間帯だとつながらないので、
マリーは日々孤独に苛まされ、
ますます家政婦を頼りにするようになる。
やがて彼女は退所して自宅に戻った。
ケアラーをつけるならという条件付きである。
住みなれた家に帰って
マリーはほっと一息つけた。
家政婦はケアラーを昼間だけ手配した。
彼女は、
プライベートのケアーは結構高くつく。
必要なのは介助だから、
夜はいらないだろうと言い張った。
ストレンジャーを嫌うマリーもこれに賛成した。
しかし、事件が起こったのは夜間である。
心配したマリーの弟子たちはそれを聞いて、
夜間もケアラーを雇うよう進言した。
家政婦はそういったマリーの弟子たちを疎ましく思い、
マリーの弟子たちも、
マリーを利用するだけの家政婦を嫌うようになっていった。
洗脳されたマリー
マリーは昔から用心深く、慎重だった。
だからこそ、心を許せる相手のことは疑わない。
家政婦からお金を無心されて「あれっ?この人、ちょっとおかしい?」
と思ったこともあった。
しかし、コロナ禍が彼女の思考を停止させた。
長い時間、たった1人で家に閉じこもる彼女を見舞ってくれるのは、
自分の可愛い弟子ではない。
家政婦なのだ。
彼女はコロナ禍になる前、
自分の資産は
長年マリーを支えてくれた弟子たちに残そうと考えていた。
しかし、コロナ禍の今、
孤独のどん底にいる彼女に
会いに来てくれる弟子はいない。
なんだかんだ言っても、
最後に自分に寄り添ってくれる人、私の家政婦!
寂しさと不安でいっぱいの彼女に、
家政婦がささやく。
毎日ささやく。
「マリー、ここにサインしてちょうだい。」
マリーは疲れていた。
もう何も考えたくない。
面倒なことは家政婦がやってくれる。
全部やってくれる。
彼女が唯一、
自分を守ってくれるのだ。
マリーは
長いことサインを渋っていた書類に、
コロナ禍の今、ついにサインしてしまう。
それは
家政婦を正式に
マリーの継続的代理人(Power Of Attorney)として認める書類だった。
これで家政婦はマリーの財産管理、
医療をはじめ生活全般の意思決定権、全てを握ったのだ。
マリーの終焉
ロックダウンが解除され、
マリーの弟子たちはマリーを訪問できるようになった。
しかし、弟子たちはもう前のようにマリーに会えなくなっていた。
マリーの社交活動は全て、家政婦がコントロールしはじめたのだ。
マリーは子供のように家政婦にお伺いを立てないと、
弟子に会えなくなっていたのだ。
家政婦はマリーが弟子たちに財産を譲りたがっていたことを知っている。
だから気が変わって、書類が書き換えられるのを恐れたのだ。
弟子たちも訪問のたびに家政婦を通さなければならず、その度に嫌味とか言われる。
自然、足が遠のいていった。
何も知らないマリーは
前のように訪問しなくなった弟子たちに寂しさを覚えるためか、
ますます家政婦に傾倒していく。
ある弟子が言っていた。
「家政婦がちゃんとマリーのことを守ってくれて、彼女が幸せならこれでいいのよ。」
しばらくしてマリーは
また施設に入った。
彼女も102歳になっていた。
頭はしっかりしているが、足腰が弱り、介護が必要になったのだ。
「私の人生は素晴らしい人生だったわ。でも、もういいの。」
ともらしていたらしい。
弟子がマリーに電話した時、
マリーは「Food! Food!」と言った。
気難しいマリーがまたわがままを言って食事を摂らないんだなと思った弟子は、
「だめだよ、マリー、ナースの言うことを聞いて、しっかり食べないと。」と諭した。
季節はやがて冬になり、
弟子たちは驚くべき通知を受ける。
死因は、
……….餓死
しかも通知は彼女の死後、だいぶ経ってから弟子たちに伝えられた。
こんなこと、法律で許されるのか!?
弟子たちは憤慨したが、
家政婦が公的に認める書類にサインしたらしい。
その時マリーがどういう状態だったか弟子たちは知らない。
「Food! Food!」と言っていたマリー。
ひもじさを必死で訴えていたのかもしれない。
そう思うと、悲しみと怒りが込み上げてくる。
弟子によれば、
マリーのお葬式は行われることがなく、
お墓も建てられなかったらしい。
ただ一つの救いはマリーが生前、弟子たちに言ってた言葉だ。
コロナ禍が産んだ一つの悲劇であった。