物語は突然始まる
2020年の初め、げばの住むH市にコロナ患者が現れました。
とうとうこの田舎町ににもコロナ上陸した。
と町中が緊張したのを覚えています。
でもまだたった一人、病院にいるだけ。
そうまだたった一人。
まさか自分がその人に接触するなんて、
そんなことないから、
自分は大丈夫。
と誰もが思っていた頃でした。
その3ヶ月後、
買い物から帰った私はひどい倦怠感を覚えます。
絶えきれずベッドで少し休息するつもりが朝まで眠ってしまって、
ぐっすり眠ったはずの翌日、
体が動かない。
ただの風邪とどうも様子が違う。
症状を調べると、
熱、せき、息苦しさの3つがコロナの条件でした。
咳はないからコロナじゃない。
多分コロナじゃない。
でも今まで経験したことのない「風邪」もしくは「インフルエンザ」
”Covid-19にかかったかもと思う人は電話ください”
というNHS(国民健康サービス)サイトにある番号に電話してみました。(とりあえず)
専門カウンセラーに診断してもらうと、
「コロナにかかっている可能性が強い」と言われ、
1週間の自粛謹慎を申し渡されました。
その時は一週間の自粛謹慎なら1週間で治る!そう思っていた。
ウルトラマンの気持ち
しかし症状は重くなる一方。
とうとうトイレやキッチンに立つのも難しくなり、
どうしてもベッドから出るときには、
転ばぬ先の杖となる「松葉杖」Crutchを持って出るようになりました。
でも3分で戻らねばならない。
なぜ3分?
それ以上になると、息が切れて倒れそうになるから。
あの時の私は、
ベッドは大海の上に浮かぶ浮き輪のようであり、
気分は3分のカラータイマーを持つ
ウルトラマンの気分でした。
トイレに行って3分でベッドに帰るのが戦いだったのに、
この3分で怪獣を倒すウルトラマンえらい!
生まれて初めてウルトラマンを尊敬したものです。
3分の戦い
ある時、トイレに立ってもたもたしてるうちに3分たってしまいました。
立ちくらみで倒れそうになるのを、必死に堪えて、歩きます。
トイレから出ると、右斜めに進めばベッドルーム。真っ直ぐ進むと玄関に出ます。
そんな広いアパートではありません。
なのに熱に浮かされて気絶寸前の私は方向感覚をなくしてしまい
迷ってしまいました。
気がつくと玄関のドアの前だった。
そういう時、人間には強迫観念というものが働き、
「このドアを開けて外に出ないといけない。」
と誰かが命令します。
アホになった脳が混乱します。
「そうだ。さあ目の前のドアを開けるのだ」
さながら、バルタン星人のささやきであります。
考えることを停止した脳は、
手をドアノブにかけてそのまま
外に出るように信号を出します。
その時、わずかに生き残った理性がストップを出します。ウルトラの父が叫ぶ。
「ウルトラマンよ!」
「ドアを開けて外に出たら、アパートの廊下で倒れるんだぞ!倒れるならベッドだろうが!誰も助けてくれないんだぞ!」
そうだ
何やってんのさ!?
脳内のニューロンが複雑に交差していました。
気絶する前にベッドに行かないと。
とにかくベッドの上なら生還できる。
カラータイマーは赤くピコピコなっている。
時間がない。
ウルトラマンは最後の力を振り絞り、
無事にベッドに戻りました。
やはり
私がかかったのは絶対にコロナだと確信しました。
時期が合わないけれど、あの国の発表は信用できないし、何せ中国出張しかも黄山という街で武漢から遥か遠くではない距離から帰った直後でしたから。
病院の椅子に座っていられなくて、車椅子に乗せられて酸素吸入。
ベッドに横たわっていても辛くて。
甘く見て欲しくないですよね。
経験者としては。
まあ大変でしたね。でもよくなって(無事に生還できて)何よりです。もしかしたらパッチワークさんが日本人コロナ生還者で第一号だったかもしれませんね。(多分そうでしょう)世界で初めて!日本人で!コロナ生還第一号!パッチワーク様!おめでとうございます。